あさひの春夏秋冬

イエス様の福音を伝える日々のあれこれ

祈り

詩編にはダビデの心からの素直な心情を神に祈っている歌で満ちている。

ダビデのその赤裸々な心情を神様に祈るというその姿が不思議な気がしていた。

神様はすべてをご存じですべてに最善をなしてくださるという思いが基本にあるから

なぜ、ダビデはその折々の心情を熱心に祈るのかという思いがあったのだ。

 

しかし、私は今、心情を切々と祈ることを知った。

四月からの勉強と仕事を両立させようとすると、体力と気力が果たして

今の私に大丈夫だろうかと思った。

私にとって、この勉強と仕事は将来の私の働きに多くの学びを与えてくれることを

実感している。

だから、両方をやり遂げたい。

しかし、私の体力では無理ですと素直に祈った。

どうしてよいかわからなかったのだ。

でも、その問題は解決した。

素直に祈ることができたことで、無理な部分を相談することができたのだ。

 

学生時代に召命を受けてそのまま、卒業後神学校へ行っていたならば、

大学の卒業までの数年間は教会の奉仕の数々の恵みや学び、

KGKでの奉仕や学びが輝くほどの心の財産になったかもしれなかった。

しかし、輝く場より、他の場所を選んでしまった。

神様は逃げるすべのない年齢になった私をとらえてくださった。

今、やっと、心情を切に祈ることを学べたと思った。