今日の傾聴の講義は「聴く耳を作る」というテーマだった。
人と話して、相手の伝えたいことをきちんと捉えるというものだった。
一つのテーマで、二人一組の聞き手と話し手でロールプレイをする。
次にテーマを変えて、聞き手、話し手、オブザーバーの三人一組で
ロールプレイをする。
毎回、傾聴の講義に出ていて、勉強になるのだが、
特段新しいことを学んでいるような気がしないのだ。
どうしてなのだろうと、毎回思っていた。
それが、今日、如実にわかった。
今から45年近く前の学生時代に、名前こそ傾聴ではなかったが、
リーダー研修会という名前でさまざまに学んでいたことを思いだした。
本当になぜこんなにも人は忘れてしまうのだろう。
忘れるというよりも、学んだことを深いところにしまってしまい、
今の生活には特に必要でもないと思って思いださないのだと気が付いた。
毎回、傾聴の講義のたびに、深いところから、45年前のたくさんの学びを
思いだす。
人の言葉を真剣に聴く、自分から答えを導き出さない、話し手が自分で
最適な答えを導き出せるように、共感しつつ、寄り添っていく。
45年前、20歳前後の学生だった私たちは、その時代に直面している問題と
向かい合って、ロールプレイをして、どう、寄り添えるかを学んでいたのだ。
昔も今も人は答えをすぐには出せない。
しかし、寄り添ってくれる誰かがいると、問題を言葉で繰り返すうち、おのずと
その答えを見出すことができる。
その事を改めて思った。