母は大正の生まれ、女子師範に行って学校の先生になりたいと願ったけれど、
父、所謂、私の祖父に手に職をつけなさいと、寄宿舎のある和裁学校に進んだのだ。
多くの生徒と寝起きをともにしつつ、和裁を学んでいた。
そんなある日、他の生徒のお茶碗を着物の袂があたって、落としてしまったという。
母は持ち主に「ごめんなさい」と謝ったところ、
その人は母に「私がそんなところに置いていたのが悪いの。ごめんなさいね」
と母に謝ってくれたという。
その時、母は、その人がクリスチャンだということを思いだし、
なんとキリスト教は人の過ちを赦すすごい宗教なのかと思ったという。
日曜学校に通いだした私に母は良く言ったものだ。
「私はキリスト教が好きだ。良かったね。日曜学校に通えて」
と。