私は、書家を目指していたが、書家になるためには
日々の鍛錬に加え、大きな展覧会に毎回出し続けて、
自分の文字を鍛えなければならない。
書道には、練習する時間も必要だし、紙も墨も筆も良いものを用意したい。
今の私には、一反数万円というような紙も一本数万円という筆も用意できない。
経済的にも無理を感じ、書家としての夢は封印した。
それから、2年たった。
牧師から書道教室の話を頂いた。
書家を目指していた私は、大きな展覧会で賞を得る事や、
同人展での大作を仕上げることのみを思っていたのだが、
書道教室は頭の中になかった。
もう私に書を書くチャンスはないと思っていたが、こんな機会を与えていただいた。
今、改めて、楷書の基本の稽古をしている。
基本となる臨書として、唐の時代の欧陽詢(おうようじゅん)の「九成宮醴泉銘」と
褚遂良(ちょすいりょう)の「雁塔聖教序」を毎日書いている。
書き始めると止まらない。
私はやはり、書道が好きなのだとあらためて思った。
今は、賞を取ることを目指しての練習ではなく、好きだから書くという
そんな形になった。
そして、それが神様のお役にたつならば、どんなにうれしいことだろう。