あさひの春夏秋冬

イエス様の福音を伝える日々のあれこれ

パウロの語る教会でのあなたの役割

今日は数か月ぶりにzoomでの聖書の学びと祈り会が開けた。

あっという間に秋になっていた。

今日の聖書個所はテモテへの手紙5章1節から16節

タイトルは「パウロの語る教会でのあなたの役割」

パウロはエペソで牧会をしている愛弟子のテモテへあてて、牧会における教職者のありかた、また、教会における役員のありかた等、さまざまに書かれているのがテモテへの手紙です。

これは、牧師でなくても、役員でなくても、すべてのクリスチャンにむけた手紙です。今日の個所は、老人を叱ってはいけませんとか、年老いた夫人を自分の母と思いなさいといった文言から始まっています。

今日の個所で長くパウロが書いているのはやもめについてです。当時の女性は、自立して仕事をするということはありませんでした。ですから、結婚前は親のところにいて、生活に困ることはなかったと思われますが、結婚後、夫に死なれたやもめの女性はどうやって生活の糧をえていたのでしょうか。夫が財産を残してくれている時はまだいいのですが、財産のない、やもめの生活を想像すると大変な日々がイメージされてきます。

現代のように、キャリアを生かして、自力で生活すると言うことはその時代は無理なことでした。律法に身内が面倒を見るという事が記されています。しかし、身内が面倒を見てくれる余裕がない時はどうなるのでしょうか。物乞いをしたり、それこそ、売春によって、糧を得たりという悲惨なことになったりします。

そうしたやもめについて、パウロは教職者だけではなくて、教会員にも果たせる枠割を、また、注意すべきことを手紙に記しています。

教会は苦難の中にいるやもめを援助したい。だから、教会員は身内に援助の必要名やもめがいるならば、率先して、身内のやもめを助けなさい。教会は身寄りのないやもめの世話ができるのですから。と書いています。

まさに、公的扶助と私的扶助のありかたをパウロは述べています。2000年の昔からの私たちのあり方、教職者のみでなく、教会員の旨とする扶助のありかたといえるのではないでしょうか。