去年の10月の半ば、最初の抗がん剤の投与が終わって、思ったことは
本格的に終活を始めなくてはいけないなという事だった。
そんな中で、いつかは着るだろうと楽しみにしつつ
しまったままのたくさんの着物の事を思った。
母は私の為に色々な折に必要なたくさんの着物を仕立ててくれた。
いまだに手を通さないものもある。
そんな着物を見ると、もう45年も過ぎたのだと思った。
そうだ、毎日曜日の礼拝に着ていこう。
昔、日曜日の礼拝には神様の前に出るのだから、一張羅を着ていくのが良いと
そんな事を聞いたことがある。
そして、一年が過ぎた。
母の愛のこもった着物を毎日曜日に着ながら、着物を手に取るたびに
その折、その折の母の言葉を思いだす。
岡山弁で、「この模様が似合うねぇ」「この色、ぴったりやろ?」
「この大島を見た時、今までの大島にない色やからともう、
すぐ手に取ってしまったんよ」
一枚一枚の着物に母の声がこもっている。
その時のその状況が思いだされる。
経済的に新しい洋服を買う余裕がないと自覚した昨年の秋、
私にはたくさんの愛のこもった、母からの贈り物があったことに
遅ればせながら気がついた。
準備されていた、一張羅の数々だったのだ。