礼拝メッセージより 1月13日
詩編22篇1〜32節
タイトル「神が‘聖なる方‘であることの私たちにとっての幸い」
詩編22篇は神の不在感がもたらす苦悩について書いてある。
インドで働かれたマザーテレサは神から「私の光となりなさい」と言われて、
神に従った。
マザーは晩年に至るまで、神の不在感の中で苦悩したという。
聖者のようなマザーがなぜ、晩年に至るまで神の不在感に悩んだのか。
イエスは十字架につけられるその前夜まで神の不在感の中での苦しみに祈った姿
そのままの姿がマザーの姿なのかもしれない。
22篇の4節で 苦悩の中であなたは聖なる方です と言う。
私たちの暗闇をどう理解したらよいのか。
神に似せて創られた私たちも聖なるものである。
私たちが神の不在に悩まされる時に、私たちが聖なるものである事を思いだす。
私たちの願いの延長上に神がいるのではない。
私たちが神の願いの延長上にいると気が付く。
ゆえに、神は私たちを助けてくださることは自明の事である。
そんな私たちは他社のために働くのだ。
マザーテレサが生涯、他者のために働いたようにである。
それは、神の願いの延長上に私たちはいるのだから。